ゴルフコース・練習場
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「東京ゴルフ倶楽部」(埼玉県)“超(隠れ)名門コース”を紹介するシリーズ〈施設・前編〉~第45回
今回ご紹介する名門コースは、埼玉県にありながら「東京ゴルフ倶楽部」という名称の超名門のゴルフ場です。
このゴルフ場の名称がついたのには、それなりの歴史と理由があります。
その歴史も含めてご紹介しますが、「東京ゴルフ倶楽部」はゴルフマガジン社(米)による「2017年度世界ゴルフコース100選」に選ばれています!
さて、この超名門「東京ゴルフ倶楽部」を、4回に分けてご紹介します。
今回はその施設・前編で、まずは歴史・クラブハウスなどを、ご紹介します!
早速、スタートしましょう!
目次
入口から重厚感溢れるゴルフ場!
静寂の中に、東京ゴルフ倶楽部の入口がありました。
石碑に刻まれた「東京ゴルフ倶楽部」の文字が、歴史を感じさせます!
連絡道路を進むと、左側にドライビングレンジが見え、クラブハウスが現れます!
早朝だったこともありますが、鳥の鳴き声しか聞こえない、静かな森の中という感じでした!
「東京ゴルフ倶楽部の歴史」を簡単に紐解くと!
東京ゴルフ倶楽部は、1913年(大正2年)に海外でゴルフになじんだ、当時の各界指導者によってできた、初めての日本人の手によるゴルフ倶楽部です。
最初のコースは、東京の駒沢(現在の駒沢オリンピック公園)にあり、摂政時代の昭和天皇が、親善ゴルフを楽しまれたことでも知られており、今も摂政杯などの競技が存続しています。
1932年(昭和7年)に埼玉県朝霞に、アリソンバンカーで有名なC.H.アリソン氏を招き、本格的なコースを完成させます。
しかし、戦火の中、朝霞コースは陸軍省に買い取られ、1940年(昭和15年)にわずか8年で姿を消して、現在の埼玉県狭山でほぼ建設を終えていた「秩父カントリー倶楽部」と合併して、2度目の移転を果たします。
敗戦後は、占領軍に接収される困難もありましたが、1953年(昭和28年)に自主運営を取り戻し、1955年(昭和30年)に社団法人「東京ゴルフ倶楽部」として、新発足しました。
そのクラブハウスは…
現在のクラブハウスは、創立50周年にあたる1963年(昭和38年)に記念事業で建てられたものです。
アントニン・レーモンド氏設計の、みがき丸太をたくみに生かした、クラブハウスです。
歴史と風格を感じさせるもので、日本オープンを7回開催しているのも理解できます。
※2001年の日本オープンでは、手嶋多一プロが優勝しています。
入口を入ると、落ち着いた雰囲気が漂っていました!
入口のガラス扉には、「東京ゴルフ倶楽部」のロゴが入っています。
その扉を入ると、正面にはソファーがゆったりと配置され、早く着いた方が、フロントのオープンを待っています。
入口を入って左側にフロントがあります。クラブハウスのオープンは6:45、フロントは7:00に受付開始でした。
入口の右手にはショップがあり、ロゴ入りの品々も揃っています。
滅多にプレーできないコースなので、記念に買い求める方もいるでしょう!
そのショップの奥が男子のロッカールームです。ロッカーはきれいですが、凝ったものではなく、ごく普通のロッカーでした。
ゴルフ場に「史料展示室」って聞いたことがありますか?
フロント前の階段を2階に上がると、ガラスの扉があり、その扉を開けると左側の部屋の入口に、「史料展示室」の看板が付いていました。
中には、東京ゴルフ倶楽部が東京・駒沢に開場した当時からの資料や、当時のゴルフクラブなどが展示されていました。
このような部屋があること自体が歴史を感じさせますが、中の展示品が、往時のゴルフ風景を偲ぶ品々で、感激します!
この部屋だけでも、さすが「東京ゴルフ倶楽部」と思いました!
ハンディキャップのボードを見てビックリ!
このボードにメンバーの名前がありますが、その札は毛筆で書かれた手書きのモノでした。
メンバーの数も多くはないと思いますが、今時手書きとは!