Isao Aokiの名勝負を振り返る後編!1983年ハワイアンオープン!

Isao Aokiの名勝負を振り返る後編は、なんと言っても1983年のハワイアンオープンです!

1980年に全米オープンで惜しくもジャック・ニクラウスに敗れて2位となった青木でしたが、それでも当時日本人がPGAツアーで勝てるとは誰も思っていませんでした。

1983年ハワイアンオープン!

この映像の面白いところは、敗者のジャック・レナーに当時を振り返らせているところ。

18番ホールで短いイーグルパットを外したものの、バーディーを取り1打差のリードをキープして、2打目をラフに打ち込んだ青木の3打目を待つレナーはアテンド(スコアの確認)をしていました。

この時の気持ちをレナーは次のように語っています。

「1打差の青木は2打目をラフに入れて125ヤードを残していた。青木のショートゲームの精度はとても高いことは知っていたので、青木がバーディーを取るのか、パーを取るのかは五分五分だと思っていた」

つまり、チップインイーグルは想定の範囲外だったということですね。

そして、青木が第3打を放った後の大歓声!

レナーは「(青木がベタピンにつけて)プレーオフか……」と思っていました。

ところが、青木の3打目が直接カップインをして、自分が負けたことを知らされるとレナーの目からは涙が溢れてきました。

この時のレナーの表情は、青木の爽やかな笑顔とは対象的に重い悲壮感が漂っていました。

余談ですが、2019年AIG全英女子オープンの渋野の笑顔と惜敗したサラスの厳しい表情をテレビで観戦していた時に、1984年の青木とレナーの表情を思い出しました。

まとめ

まとめ

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この映像の最後には、1983年ハワイアンオープンで負けたレナーが、翌年同じハワイアンオープンでウェイン・レビとのプレーオフを制して見事にカムバック優勝を達成した場面が映し出されます。

これは筆者の邪推ですが、青木に負けたレナーは涙を流すほど悔しい思いをしましたが、その悔しい思いが闘志に変わりこの優勝を手繰り寄せたのではないかと感じました。

オリエンタル・マジックと呼ばれた青木のプレーは世界中のゴルファーに大なり小なり影響を与えていることは間違いないので、この憶測も当たらずとも遠からずといったところでしょう。

皆さまはどう思われますか?

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オニオンスライス

ゴルフ歴二十数年。 ラウンドよりも練習が好きな、ハンデ15のベテランゴルファー。 『観るゴルフ』の達人として、ゴルフの楽しみ方を広めていきます!

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