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プロゴルファー

Nick Jagger

韓国勢、強さの秘密はハングリー精神?申ジエ、ハヌル、ボミの事情とは?

1位 パク・ソンヒョン
2位 チェ・ヘジン(アマ)
3位タイ ハ・ミジョン
3位タイ ユ・ソヨン
5位タイ イ・ジョンウン

これは韓国女子オープンの結果ではありません。まだ記憶に新しいので分かる方も多いかと思います。
昨年の全米女子オープンの順位です。

なんとベスト10内の8人が韓国人プレーヤーでした。

日本のみならず、世界のゴルフ界を席巻するコリアンプレーヤーの強さの理由は一体何なんでしょう?

一般的にはジュニア時代からの徹底したゴルフ教育といわれています。

しかし、果たして恵まれた環境で育った裕福な子供たちが、世界で成功しているかというと、そうではありません。

日本で活躍する申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミのジュニア時代はどうだったんでしょう?

ヒロインは朴セリ

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申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミの3人にはいくつかの共通点があります。

まず1988年生まれ。3人とも裕福な家庭環境ではありませんでしたが、韓国ツアーで賞金女王になっています。

彼女たちが9歳になった1997年に、韓国は通貨危機による経済難を経験し、国家は破綻寸前で、韓国民の生活は困窮していました。

通称IMF経済危機と呼ばれた大不況の中、ゴルフ界にスーパーヒロインが誕生したのです。

1998年、アメリカLPGA1年目の朴セリが、全米女子オープンで20歳9か月という当時の最年少記録で優勝を果たします。

同年、全米女子プロ選手権でも優勝。なんとメジャー2勝という快挙は、韓国の大ニュースとなりました。

その偉業は、もちろん生中継され、不況にあえぐ韓国民を勇気づけたのです。

ちょうどその頃、前述の3人の両親も大きな刺激を受けて、娘を朴セリのようにしたいと思ったそうです。

そんなこともあって、彼女たちは「朴セリキッズ」と呼ばれています。

母の死を乗り越えた申ジエ

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両親の勧めでゴルフを始めた申ジエですが、中学3年の時に突然不幸が訪れました。

父親と練習をしているときのことです。練習場まで送り迎えをしていた母親が、大型トラックと正面衝突をし、帰らぬ人となってしまったのです。

家庭は元々それほど裕福ではなく、これ以上ゴルフを続けられる状況ではなくなりました。

そんなとき、母親の保険金が入り、いくつかの借金を返済し、手元には1700万ウォンが残りました。

父親は「お母さんが命と引き換えに残したお金だ。これでゴルフを一生懸命頑張ろう」と、言ったそうです。

その一言で、ジエのゴルフに対する考えが変わりました。

それまでは「ゴルフでミスをしてもいい経験だ。次頑張ればいいさ」という考えを、「その1回のミスが後悔することになる」と思うようになったそうです。

その決意を表すエピソードがあります。中学、高校時代、5年間1日も欠かさず20階建てのアパートを毎日7往復ランニングしたそうです。

そして1日13時間のゴルフの練習もこなしました。

すべては父親を喜ばすためでした。その結果、韓国ツアーで3年連続で賞金女王となり、2010年には世界ランク1位にまで登り詰めたのです。

日本ツアーではいつもニコニコしている印象が強い申ジエですが、その裏には深い悲しみを乗り越えた強さがあるのです。

ボール1個で2日間戦い、優勝したキム・ハヌル

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昨シーズンは鈴木愛と最後まで賞金女王を争ったキム・ハヌル。

韓国では「スマイル・クイーン」の愛称で絶大な人気を誇っています。

2011年、2012年の韓国ツアーの賞金女王です。実力だけでなく、その美貌も人気の大きな要因となっています。

一見、育ちも良く、お嬢様ゴルファーのイメージが強いハヌルですが、そのイメージとは真逆で、彼女も苦労人ゴルファーだったのです。

父は造形の仕事をしてましたが、やはり裕福ではなく、いつもお金に困窮してたといいます。

しかし、やはり朴セリに感化された父は、12歳のハヌルにゴルフを始めさせました。

当時の韓国は、ゴルフ用具はもちろん、練習代、ラウンド代はかなりの高額で、とてもゴルフを続けられる環境ではなかったと、彼女は語っています。

それでも「ゴルフを続けさせてください。絶対に成功する自信があるから…」と父親を説得しました。

それならば、と父親も必死にハヌルのために働いたといいます。

ジュニア時代、あるトーナメントに出場した中学生のハヌルはボールを1個しか持っていませんでした。

見かねた父はハヌルに財布を渡し、「これでボールを買ってきなさい」と言いました。

ボールは1スリーブ(3個)約3000円もしたそうです。

彼女が財布を開けると、そこには3000円しか入っていませんでした。彼女は結局ボールを買わずに、父に財布を返しました。

結局ボール1個で2日間を戦い、見事に優勝を果たしました。

みじめな思いや口惜しさをバネにして、悲壮な覚悟で挑んでいたのです。

こうした過去を今では笑って話すハヌルですが、思春期の彼女がどんな気持ちでいたかを想像すると、相当な精神力の持ち主だったことでしょう。

一家を支える家族の長イ・ボミ

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昨シーズンはその実力からすると、今イチだったイ・ボミでしたが、愛くるしいルックスとファッションで女子プロナンバー1の人気を誇っています。

ボミの転機は2014年の9月に最愛の父親を病気で亡くしたことでしょう。

当時の彼女の喪失感はかなりのもので、体重も激減し、痩せ細った姿は痛々しいものでした。

ボミもまた12歳の時に父の勧めでゴルフを始めています。仕事は電気技師でしたが、それほど経済的に余裕はなく、母が飲食店を切り盛りして、家計を支えていました。

父のボミに対するゴルフのサポートは相当なもので、自宅から練習場まで1時間半、毎日送り迎えをしていたそうです。

「今私があるのは父のおかげです」と、ボミは感謝の気持ちを持ち続けています。

その父への愛情、感謝の気持ちが2年連続賞金女王になったモチベーションであったことは間違いありません。

その父が亡くなった後は、ボミが一家の長になりました。母は日本でボミに帯同、姉は嫁ぎましたが、妹2人は韓国で働いています。

彼女が家族を支えていくという責任感が今の強さの原動力になっているのでしょう。

ボミは敬虔なクリスチャンです。スタート前ティーグラウンドで十字を切っている姿を見たことのあるファンも多いかと思います。

ただクリスチャンといえども、儒教の教えが根強い韓国ですので、両親を敬い、家族を大事にするという儒教の精神がボミにも強く宿っていることでしょう。

申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミ、3人に共通するのは父親の情熱です。

韓国にはこんな言葉があるそうです。「1年で破産しそうになったらカジノへ行け。10年で破産しそうなら、子供にゴルフをさせろ」。

子供に一獲千金を託すみたいで、あまり聞こえはよくないですが、それくらい悲壮感を持ってプレーをする彼女たちの活躍は、日本でもアメリカでも当分続くかもしれませんね。