プロゴルファー
Nick Jagger
渋野日向子のメジャー優勝で、改めて樋口久子の偉業を想う
先週の渋野日向子の全英女子オープンの優勝フィーバーはすごかったですね(今も続いていますが)。
スポーツニュースだけではなく、連日ワイドショーでも報道されていました。
かつて、プロゴルファーがこんなにもメディアに注目されたことがあったでしょうか。
なんといっても、樋口久子プロ以来、42年ぶりの日本人メジャーVですからね。その樋口プロの42年前の報道はどんなものだったのでしょう?
女子プロゴルフ界のレジェンド、樋口久子
今の若いゴルファーは樋口久子プロのすごさを知りませんよね。
1967年、女子プロ一期生としてプロデビューすると、68年~74年、76、77年の日本女子プロ選手権、68年~71年、74年、76、77、80年の日本女子オープンという2大メジャー競技で勝利を重ねに重ね、海外では、豪州女子オープン(74年)、コルゲート欧州女子オープン(76年)、そして77年には全米女子プロ選手権で優勝し、当時チャコ(樋口の愛称)旋風を巻き起こしていました。
現役の最終年の90年にも2勝を挙げ、通算勝利数は72勝というレジェンドなのです。
彼女がいたからこそ、のちに岡本綾子や宮里藍などの後輩がアメリカツアーで活躍できたのです。
野球で言えば、野茂英雄のようなパイオニアといっていいでしょう。
42年前はテレビ中継もなく、日本人メディアは1人だけだった
42年前の全米女子プロ選手権の舞台は、サウスカロライナ州ノースマートルビーチにあるベイツリー・ゴルフ・プランテーションでした。
当時日本へのテレビ中継はありませんでした。
そんな中、樋口が上位で活躍しているということで、サンケイスポーツのロサンゼルス通信員の牧野泰氏が急遽、ロサンゼルスから3500キロの道のりを車で駆け付けたといいます。
それが唯一の日本メディアだったそうですから、あれから42年、この「シブコフィーバー」に樋口も万感の思いだったでしょう。
実った樋口プロの女子プロ改革
現役引退後は、海外ツアーの経験を活かし、国内ツアーの改革に大きく貢献します。
96年にLPGA会長に就任すると、「底辺拡大」を掲げ、アマチュア選手の出場制限を撤廃しました。
プロの出場枠が減るだけに、反対意見も多かったのですが、その改革で誕生したのが宮里藍であり、横峯さくらたちです。
その宮里藍に憧れてプロになったのが、渋野日向子らの黄金世代です。
渋野の優勝を目の前で解説していた樋口久子プロ。
誰よりもうれしかったのは、もちろんあなたでしょう。