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令和のゴルフがもうすぐそこに来ている。
平成を振り返りつつ、令和に向かって昭和・平成のゴルファーができること。
マナーに関しての社会人の鑑になろう(チョットおおげさ)。
10年以上前まで、約15年通っていたゴルフ練習場のオーナーが、いい意味でそこそこ口うるさかった。
『自分の経営している練習場内では、俺がつくったマナーを守れ』という理屈である。
例えば、トイレで手を洗った後は、洗面ボールの外の水飛沫を拭くべしとか、自販機で買ったペットボトルは自販機横のごみ箱に捨てろとか、である。
でも、少し考えれば社会人としての当たり前のマナーである。
筆者も少なからず賛同していて、その『お達し』に従って、オーナーの言を実践していた。
ほんのたまには、他人の使った後の洗面ボールを拭いたり、余計なお世話なのだが、別のお客さんに軽く注意を促したりもしていた。
石川遼プロも実践していた。
石川遼プロが、アマの時代にクローズアップされかけていた頃の雑誌の記事で、洗面ボール周りを拭くマナーの良いゴルファーとして紹介されていた。
『使う前よりもきれいにして次の人に使ってもらう』というような発言だったと記憶している。
当時は、それほどゴルフ場では洗面ボール周りをきちんと拭く大人が少なかったのかなあと思ったおぼろげな記憶がある。
でも、最近のゴルフ場では、洗面ボール周りを拭くゴルファーを以前よりもよく見かける気がする。
全体的には、マナーを意識して、常識力が上がったゴルファーが増えたのだろう。
気持ちよくラウンドするために。
筆者は今の地に引っ越して半年余り、ホームコースから離れてしまったせいなのだが、ネットの同伴者募集型ゴルフサイトから申し込んでのゴルフラウンドが多くなった。
自慢に聞こえるかもしれないが、ラウンドが終わった直後に、『今日は楽しく気持ちのいいラウンドができました。またぜひご一緒に』という声がほぼ毎回かかる。
自惚れになるが、未知のゴルファーとのラウンドの際に、当然いつも心掛けていることがあるのだが、そのせいなのかもしれない。
堅苦しいかもしれませんが。
では、どんなことを心掛けているのかと言うと、
①初対面の際、まずは気持ち良く挨拶する(笑顔が加わればベスト)
②名前を交わした時は、相手の名前を復唱して覚える
③キャディーさんがつく時は、キャディーさんの名前も覚えて、名前で呼びかける
④カートのリモコンを持つ係になった場合は、プレイファストと同伴ゴルファーのボール位置を確認してカートをコントロールする
⑤同伴ゴルファーが乗ったカートを運転する際は、必ず確認と声掛けをする
⑥ラウンド当初は、口うるさく思われない程度に自己紹介し、互いを理解するよう話しかけ、全員がカートに乗って移動する際は、少しゴルフに関する話題を提供する
⑦同伴ゴルファーのスイングとショット内容、及び球筋を見極めた上で、「グッドショット!」と声を掛ける
⑧ボールがそれて行方が分からなくなりそうな同伴ゴルファーのボールを、自分のショットの不都合が生じないように、できるだけ探すのに協力する
(尊敬するゴルファーの一人、故・中部銀次郎さんは、同伴ゴルファーのボールをなくさないように全力を尽くし、なくすのを恥と考えていたそうです)
⑨グリーン上では、次のプレイがスムースになるよう、旗竿を持ったり挿し直したりする
⑩次のティーインググラウンドの方向に、使わないクラブやパターカバーを置いておく
⑪旗竿を持たない場合は、お互いプレッシャーに感じない程度に、同伴競技者のグリーンサイドのクラブを拾って手渡す
⑫セルフラウンドの際のグリーン上で、ボールを拭くタオルを手際よく手渡しする
⑬自分のホールアウト後に、ホールからボールを取り出す際に、ショット数を数字で全員に聞こえるように伝える
⑭前の組と離されてしまった時は、同伴ゴルファーにさりげなく注意を促し、自分も率先して素早く行動する
⑮たまには、気の合わない、タイミングが揃わない同伴ゴルファーがいるが、なるべく気に掛けずにラウンドをこなす
というようなことである。
筆者はもう何十年も実行していることなので、そんなには苦痛ではない。慣れればどなたでも可能なことなのではないでしょうか。
未来へ。
若い意気軒高なゴルファーの方たちにとっては、非常に説教くさくなった感がある話かもしれなく、申し訳ありません。
「ゴルファーが世の中を良くするために立ち上がろう!」というような大げさなことは言うつもりはありません。
がしかし、良い習慣を身に着けたゴルファーが増えてきつつあると感じることがあります。
ですので、ゴルフ場の外でも(良い行動ができる)ゴルファーを見習うべきとの風潮が広がって、ゴルフに対するイメージアップにつながっていけばと思ったりします。
令和になったら、より多くの人がゴルフ場に足を運んでくれることになれば良いなあと、平成最後の4月に想いを巡らしたのでありました。