ゴルフスイング
飛太郎
【脱力?】スイングに、ニュートラルという考え方を!【リラックス?】
こんにちは! 飛太郎です。
よくスイングにおいて「脱力しましょう」と言われたりしますね。
僕もそれは過去に、師匠から耳タコで言われたことがありますが、その時こんな会話をした記憶があります。
僕「師匠、脱力したら寝ちゃいますよ」
師「アホか、ほなら寝とけ」
その時、日本語の難しさを知りました(笑)。
脱力と言ったりリラックスと言ったり、表現の仕方は人それぞれですが、要は力んでしまうと身体本来のポテンシャルを活かせず、ゴルフスイングに様々な弊害が生じるので良くないですよ、ってことですよね。
その時の僕と同じくなかなかピンとこない方に、オススメの考え方・解釈の仕方・その理由などを、今回は僕なりにご紹介したいと思います。
「脱力」と言われてしまうと……
「脱力しろ」と言われた時に僕が抱いたイメージはまさにこの写真の通りでした。
「ダラー……」って効果音がピッタリな状態ですね(笑)。
しかしこれじゃ、今からゴルフスイングをするなんてとても無理。
毛布でも掛けてもらえれば、翌日まで寝てしまえる自信が僕にはあります。
脱力なんて極端な日本語の表現だからイメージが湧きにくいのかな? と思い、リラックスしよう、リラックスしようと言葉を変えて取り組んでみるも……。
「そもそもリラックスって何だ?」「温かいミルクティーがないと俺には無理ッス」と、なかなか本来の身体の動きを取り入れることは適いませんでした。
まぁ僕が特に不器用なだけかも知れませんが。
スイングの起点を知り、身体のギアを考えることで生まれた、自分なりの解釈
そもそも、ゴルフスイングは「運動」です。
これから動こうとしているのに、先の段落の写真の状態では動きようがありません。
「動」に対する備えが必要になってきますね。
短距離走でいうところの備えは、写真のようなクラウチングスタートのポジションを取ることですよね。
ゴルフスイングにおける備えとは、ご存知の通りアドレスな訳です。
考えてみれば、「備え」というものはあらゆるスポーツに存在することに気が付きます。
そこで、その「備え」や「構え」には、一体どんな目的があるのかを考える必要があります。
短距離走のクラウチングスタートにしても、ゴルフのアドレスにしても、初動が開始されるまでの構えから早くも力んでしまっていては、初動に乱れが起き、その後のアクションに大きな弊害が生まれます。
「脱力しろ!」「いやリラックスするほうが良いんだ!」「とにかく力を抜け!」と、様々なアドバイスが古今東西、飛び交うのはそのためでしょう。
つまり構えとは、「動」という目的のための「静」であるということ。
しかしてその「静」が、もしも完全なる脱力であったとしたら、そこにこそ矛盾が生じる訳です。
完全に脱力してしまえば、動けないからです。
大切なのは、静から動へと移るために『身体のギアを入れる』というアクションが、構えの次の瞬間に待っているということです。
そのためにできることは、一体なんでしょう?
ギアを入れる前には……?
車で例えるなら、ギアを入れる直前を想像してみてください。
ATにしてもMTにしても、必ず「ニュートラル」に該当するレンジにあると思います。
※ATの場合は「パーキング」レンジでも構いません。
人体は機械ではありませんが、しかしこれに関しては「動くための備え」という点で同じことが言えます。
スイングの初動に移る前には、身体をニュートラルな状態にする必要があるという訳です。
ゴルフスイングにおいては、僕の表現で恐縮ですが『常にギアが入りっぱなし=力んでしまっている状態』と言えます。
かといってエンジンまで止めてしまうほどに、つまりは「完全なる脱力」などをしてしまえば、スイングの初動に移るのは難しくなるでしょう。
そう考えると、「脱力しろ!」と一言投げ掛けられて混乱してしまう(僕も含めて)のは、ある意味で自然なことだと思います。
次回以降の「飛ばしの必殺技シリーズ」でご紹介させていただきますが、第一弾としてはこの「スイングに移る前のニュートラルポジション」についてお話ししていこうかと思っています。
もちろん、「必殺技」とうたっているだけに、教材やレッスン書を丸写しして記事にするようなものではありません。
スイングセオリーや物理の観点、人体生理学、師匠の教えや数多くのライバルたちから学んだ事を、競技の中で僕なりにアレンジして構成したものです。
なかには、「そんな技は、どの教材にも書いてないぞ!」と異論をお持ちになる方もいらっしゃるやも知れません。
ですから、ご自身にとって「コレは使えそうだ」と思えるものを、どうぞお好きに持っていっていただければと考えています。
飛躍した表現になりますが、僕はこう考えています。
世の中で「正解」とされているものだけを携えて、僕らは生きてはいないハズだと。
参考書はその名の通り、あくまでも「参考」書なのですから。
僕らには、それら無限に存在する数多のテキストをミックスし、独自の「技」へと昇華させる自由があります。
ですので、どうぞ難しく構えず、「コイツはこんなことをして飛ばしてるんだな」くらいの目線で、何かを拾っていただければうれしく思います。
それではまた! 飛太郎でした。