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Gridge編集部
わたしのゴルフ履歴書〜Vol.16〜株式会社アイダ設計 會田貞光社長
ゴルフ好きな経営者のゴルフライフを覗く企画「わたしのゴルフ履歴書」第16弾。
今回は、株式会社ゴンドラの古江恵治社長(Vol.13)からご紹介いただきました、株式会社アイダ設計の會田貞光社長です!
アイダ設計といえば、小泉孝太郎さんのCMでもおなじみのハウスメーカーです。
ところで、そのCMの中で“ゼッチ住宅”という言葉が何回か出てきますが、皆さん、この言葉ご存知ですか?
“ゼッチ住宅”は「ZEH住宅」と書きます。“ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス”の略で、平たく言うと“使うエネルギー≦創るエネルギー”となる住宅のことです。
※正確に言うと、“H”が“住宅”の意味ですから“ZEH”なのですが、わかりやすくするために“ZEH住宅”と呼ばれています。
我が国でも、2014年4月に閣議決定された「第4次エネルギー基本計画」で、「2020年までに標準的な新築住宅で、2030年までに新築住宅の平均でZEHの実現を目指す」とする政策目標を設定していて、今後ますますZEH住宅の注目度は高まっていくでしょう。
そんなZEH住宅をはじめ、リーズナブルで高品質な注文住宅・分譲住宅でおなじみなのが、アイダ設計です。
※記事中の吉川なよ子プロの写真はパーゴルフオンライン様よりお借りしました。
目次
會田貞光(アイダサダミツ)さんとはこんな人
福島県で生まれ育ったという會田さん。勉強は嫌いで、勉強好きな友人と仲良くなって、勉強を教えてもらっていたそうですが、なんと今ではその友人が会社の顧問弁護士になっているそうです。
會田さんは、設計科を卒業して設計事務所を始めたものの、とある不動産取引の失敗がきっかけで、現在につながる不動産業を始めたとのことです。この話は次の段落に続きます。
起業のきっかけは「“悪い人”にだまされたから」
――どういった経緯で不動産業を始めたのか教えてください。
高校のときは設計の学校に行っていました。2年生のときに1枚も図面を出さなかったら職員室に呼ばれて、7日間で1年分の提出する図面を全部書けって言われて……。
小学校のときにも学校に来なかった母が初めて学校に呼ばれて、「頼むから免状だけは取ってくれ」ってそこで泣かれて……。
それで5日間くらい、ほとんど寝ずに図面を引いて、何とか提出しました。このお陰で、設計が頭に入りましたね。
ですから翌年の卒業設計は、友達4人分くらい、代わりに図面を引いてあげました。製図は、線さえ引いてあって、文字と数字だけ後で本人が書けば、筆跡で他人が引いたってバレないじゃないですか(笑)。
で、最初は設計事務所を始めたのですが、ある不動産の仕事で先方が夜逃げして、150万円を回収できなかったことがあったんですね。
そのとき、“悪い人”に「この1500万円のマンションを1200万円で売るから、それで未回収分に充てなよ」なんて言われて、「よし、それをまた1500万円で売れば儲けが出るな」なんて思って買っちゃったんですよ。
そしたら、とんでもない、そのマンションはもともと1100万円もしない物件だったんです(笑)。
で、悔しかったので、そこを事務所にして(笑)、不動産業をやるぞ、と。
――じゃあ今があるのは、完全にその時にだまされてマンションを買わされたからじゃないですか(笑)。
そうです。それで、近所のおじいさんが「會田さん、うちの土地を買ってよ」って言ってきたので、「いいですよ」って言ってその土地を買って、それを売ろうとしてチラシを配ったら県庁に呼び出されて。「あなた、宅建(宅地建物取引士)持ってないでしょ」って(笑)。
建築士の免許を持っていたら不動産業ができるぞと思っていたのですが、ダメだったんですよね、当たり前ですけど(笑)。
それで、姉が宅建の学校に行って資格を取ってくれたんですね。不動産業を始めたのはそれからです。
初めてのプロアマで吉川なよ子プロといっしょに
――ゴルフを始められたのはいつですか?
ゴルフは29歳からなので、始めたのは遅いほうですね。
高校のときに3日くらいキャディのバイトをして、「ゴルフはお金持ちの道楽だ」と思っていたのですが、自分で始めてみたらそれほどお金はかからなかったので、やってみようという気になりました。
ちょうど友人に、フジサンケイレディスに誘われて、プロアマに2ヵ月後に出るからと言われたんです。
練習場に行ったときは意外とカンタンに打てたので、本番のことは気にもならなかったんですよ。
ところが、いざプロアマとなって開催コースの嵐山カントリークラブに行ったら、コースの景色って練習場とは全然違ってとんでもないじゃないですか。
私たちの組には、当時もう少しで永久シードだった吉川なよ子プロ(通算29勝・写真)がいて、女性なのにとんでもなく飛ぶし、曲がらないし、「これがプロなんだ」と思って見ていたら、「後ろの組の岡本綾子プロはもっとすごいんですよ」なんて言われて。
これが29歳のときで、私のゴルフの始まりでした。
30歳になったときに、不動産組合の沖縄旅行のゴルフコンペで悔しい思いをして、帰って来て定期預金を解約していいクラブを買って、インストラクターに週に2回、半年ほど習いました。
家のすぐ前に練習場があったので、しょっちゅう練習場に行って、帰ってきてからも夕ご飯を食べる前に素振り100回とか、そんなことばかりやっていましたね。
またその頃、細かいの(ショートゲーム)が上手くなりたいと思っていたんです。
当時の家の前の駐車場が舗装されていたんですけど、いい加減な舗装だったので草が生えてきていたんですよ。それをサンドウェッジで刈っていて(笑)。
そうしたら腱鞘炎になっちゃって(笑)。エライ思いをしました。
で、先日も家の庭に草が出てきたからサンドウェッジで刈っていたら、今度はひじをやっちゃって……。
――何も勉強してないじゃないですか(笑)。
シニアティーからのエイジシュートが目標!
――印象に残っているラウンドはありますか?
ゴルフをやっていて一番記憶にあるのは……最初に1アンダーで回ったときのことです。
そのときは、いまでも覚えているのですが、途中のホールで、狙ったところに打てたのにOBになったホールがあったんです。
キャディさんに言われたとおりに打てたと思ったら、私の勘違いで、キャディさんは違う場所を指示していたみたいで……。
でも、そのホールをボギーで上がれたんですよ。
で、「ツイてるなー」なんて思いながら最終ホールまで1アンダーで来て。
ところが2打目でバンカーに入れてしまい、「あーこれはダメか」と思った3打目のバンカーショットがピッタリと付いて。
で、難なくパーを取れて、当時のベストスコア更新となりました。
あともう1回、71で回ったことがあって、そのときは途中まで1オーバーだったのが、パー5の3打目が入っちゃってイーグル、1アンダーになって、そのままホールアウトというラウンドでした。
また、1ラウンドで4バーディを取ったのが最高記録なのですが、全部チップインだったなんてこともあります。
――社会人からゴルフを始められて、何度もアンダーで回っているなんてすごいですね。
以前は仕事が忙しくてそれほどゴルフができなかったのですが、最近は健康のためだと思って、なるだけゴルフに行って歩くようにしているんです。
パープレーは何度かあるのですが、もうすぐ70代じゃないですか。そうするとシニアティーから回れるなと思って(笑)。
いまはレギュラーティーやバックティー、時にはフルバックから回っているので、シニアティーからだったらエイジシュートが狙えると思っています。それが今の目標です。
勝負運はないけど仕事運があった
――他に印象的なラウンドや試合はありましたか?
ゴルフを始めて3年目くらいの頃に、関東地区の報知アマで優勝したんですよ。
で、全国大会に行ったのですが、1番ホールでテンプラを打ってしまいました。
2打目が230ヤードくらい残ってしまったのですが、バフィー(4番ウッド)で打ったら乗ったんですよ。
ところがそのファーストパットをダフって3メートルくらいショートしてしまって、「何をやっているんだ」なんて思いながらパチンと打ったパーパットが入ったんですね。
「今日はツイてるなー」なんて思ったのですが、2、3ホール目のパー5で2連続OBを打ってしまい、そこからおかしくなってしまいましたね。
で、結局その日は全然ダメでブービーになってしまいました。
そんなこともあって、それから2年くらいゴルフをお休みしたのですが、ちょうどその頃は仕事が大事な時期だったので、逆に良かったのかもしれません。
私は、勝負運はないんですが、仕事運はあったんですよね。他の会社があきらめたような土地を買っても、ちゃんと商品になったんです。
何か問題が起こっても、自分に正直になって問題に向き合い、「いいことはいい、ダメなものはダメ」という感じで、素の自分で立ち向かうことで、仕事はこれまで上手くいってきました。
一代で会社をここまで大きくすることができましたけれど、私にも、なんで一代でここまで来れたのか不思議です。ただ、正直に取り組んだことと、仕事運があったお陰だと思っています。
ラウンドでミスしたクラブだけを持っていって練習!
――現在のゴルフスタイルは、どのようなものなのでしょうか。
周りから見ると、私はアマチュアとしては上手なほうの部類に入るかもしれませんが、これを維持したいと思っています。そのためには健康でなくちゃダメ。
ただ、若いうちは1.5ラウンドとかしていましたけど、いまは1ラウンドで十分ですね。
スコアも、昔は「もっといいスコア、もっといいスコアを」と考えて、ゴルフが苦しかったのですが、いまはスコアが悪くてもゴルフが楽しいと思えるようになりました。
以前は自分のことしか考えないでゴルフをしていたのですが、最近は人のボールを探すのも楽しいくらいです。ラフに入ったボールを見つけるのも得意です(笑)。
ただ、先日のコンペで、パー3で池に2発も入れて“7”を叩いてしまって、ガックリ来てしまって……。悔しかったので、その後、7番アイアンだけ持って練習場に行って、100球打ち込んできました。
――やっぱりそこだ! こういう人が上手くなるんですね! ミスしたクラブを練習するのが大事なんですよね。
頭に来たから7番だけ捨てちゃおうかと思ったんですけど、もうこのクラブが売っていないから思いとどまりました(笑)。
若い選手にもっと注目してほしい
――これまでインタビューして来た人にゴルフ業界活性化案を聞いてきたのですが、「スーパースターが出てくれば……」みたいな話が多かったんです。ところが、渋野日向子選手が出てきて……。他に、何か「こうしたらもっと若い人もゴルフをするんじゃないか」という案はありますか?
男子プロの人気が出ないのは、年配の選手が勝つことが多いという理由もあると思います。若くていい選手もたくさんいるのですが……。
そんな若くてキャラがいい選手をメディアがもう少し取り上げるなどしないと、男子ツアーは盛り上がっていかないのではないでしょうか。
若い人だって、カメラに追われると度胸がつくんですよ。そういう経験を若手に積ませてあげれば、もっと強くなると思いますよ。
以前、うちと契約していた野上浩一という選手がいたのですが、彼だって、日本大学で小達敏昭選手(ツアー通算2勝)がキャプテンのときの副将で、いい選手だったんですよ。
でも、海外の試合でタイガー・ウッズと一緒の組になったときに、大ギャラリーやカメラに囲まれて緊張して、前半43も打っちゃったんですよね。
それに、一緒にラウンドしているのに、タイガーのサインの一つももらってこなかったんですよ(笑)。何のためにうちと契約してるんだよ、と(笑)。
……まあ、それは冗談ですが、いずれにせよ若い選手が度胸をつけるためには、カメラ慣れしたりとか、経験が必要ですよね。
取材後記
とにかく話が面白く、ここには書けない話(?)もたくさんあって、あっという間のインタビュー時間でした。
やはり、一代で企業を大きく成長させるためには、バイタリティや要領の良さ、そして自分に対する正直さが必要なんだな、と強く感じました。
ゴルフに関する話で一番衝撃的だったのは、下のセッティングにもありますが、「ボールは新品だったら何でも使う」というお話。
私はよく「上達したければ、ボールは最低でもスピン系かディスタンス系かくらいは揃えたほうがいい」という話をしているのですが、それすらもお構いなし。
それで、シングルハンデレベルの腕前を維持しているのですから、ちょっと驚きです。
ボールをチャンポンして使ってどんなラウンドをするのか、興味津々です。
プロフィール
【ゴルフ歴】39年
【ベストスコア】71
【クラブセッティング】(2019年8月時点)
1W:ピン G410
3W:テーラーメイド M4
4UT:キャロウェイ レガシーブラック
アイアン(5~SW):ヨネックス ロイヤルEゾーン
ウェッジ: フォーティーン DJ33
パター:スコッティ・キャメロン ホリデー、テーラーメイド スパイダー ツアーレッド
ボール:新品なら何でも
【愛用ブランド】
なし
會田貞光(あいだ・さだみつ)
1951年1月1日生まれ、福島県出身。高校卒業後、設計事務所を開設。1981年にアイダ設計を設立。現在では、日本全国はもとより、中国、フィリピンにも進出し、同社をグループ総従業員数1200人超、売上520億円超となる国内有数のハウスメーカーへと育て上げる。
社内でもゴルフ熱は盛んで、定期的にコンペが行われている。