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おっ3

日本のゴルフが心配です。~サッカー・バスケの成功事例にならう~

1993年、日本にJリーグが華々しく発足しました。

毎週水曜日と土曜日のゲームで、テレビ局はその放映権をこぞって獲得。『人気先行』と揶揄する方もいましたが、その後日本サッカーは悲願のワールドカップ出場を手にします。

Jリーグの初代チェアマンの川淵三郎さんは、その後2つの団体の間で揺れ動いていたバスケットボール界の改革も担いました。

そして生まれたBリーグは人気も急上昇、そんな環境から競技力も向上しています。

ゴルフにも倣(なら)うべき点はあるように思います。

日本で最も注目のスポーツになったサッカー!

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当時は『読売ヴェルディ』の愛称で、多くのスター選手を抱えていた現在の『東京ヴェルディ』。

メキシコ五輪で銅メダルを獲得したものの、その後は人気・実力ともにパッとしなかった日本のサッカー。

Jリーグが発足して、テレビ中継が激増、同時にファンも急増しました。

そんな中で、写真のキング・カズ(三浦知良)を始めとするスーパースターも次々と生まれました。

1994年のFIFAワールドカップ(W杯)・アジア予選では、後々『ドーハの悲劇』と言われるイラク戦の引き分けによりW杯への出場を逃しましたが、次回1998年以降は、W杯の常連チームに成長しました。

競技力の向上と共にサッカーを志す子供の数が増えて、今では世界中のクラブチームで日本人選手が活躍しています。

サッカーの成功の鍵は、絶対的スーパースターの登場と、テレビを始めとする媒体露出の急増、そして地域密着感にあると思います。

そのすべてをビジネスに結び付けた川淵チェアマンの手腕は特筆するべきものがあると思います。

分裂から一転して人気急上昇したバスケットボール

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この写真は、NBAのものではありません。日本のバスケットボールのBリーグのチャンピオン決定戦後のものです。

日本のバスケットボール界には、NBL(実業団リーグ)とbjリーグ(プロリーグ)の2つの団体が存在していました。

常にいがみ合って来た2つの団体を統合する革新的な動きが2016年9月に起こりました。

『Bリーグ』の誕生です。

FIBA(国際バスケットボール連盟)からJBA(日本バスケットボール協会)の無期限資格停止処分を受けてからわずかの期間で『Bリーグ』を世に送り出したのは、Jリーグの立役者である川淵三郎さんでした。

その後の日本のバスケットボール人気と競技力の向上は凄まじく、男子は21年ぶりにW杯出場権を自力で獲得、女子もアジア大会3連覇と波に乗っています。

バスケットボールの成功のポイントは、異なるスポーツのキーマンに客観的で抜本的な改革を委ねたことかもしれません。

川淵さんはBリーグの開幕直前にJBA会長を辞任しました(現在はエグゼクティブ・アドバイザー)。

現在は、全日本女子バレーボールで活躍した三屋裕子さんがその後を担っています。

チャンスはありました!

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2007年、世界最年少優勝記録(15歳245日)を樹立した石川遼プロ。

その2年後には最年少賞金王記録を大幅に更新、わずか18歳80日でその栄冠を手にしました。

この頃、にわかにゴルフ界は活気ついたと思います。

しかし、この流れを当時の日本のゴルフ界の中枢を担う方々は活かしきれなかったと思います。

大人気バスケットボールマンガ『スラムダンク』や日本人初のNBAプレーヤー田臥(たぶせ)勇太がいながらも流れを作れなかったのと同様、大局を見極められなかったような気がしています。

残念ながら、逃した流れを取り戻すことはできません。

日本のゴルフ界に望むこと

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次の世代が『夢と希望』を持てることは絶対の条件と思います。

過去と今に生きる世代が既得権を固持するままでは、もう先はないと思います。

掲げた理念を徹底的に実践してもらいたいと思います。

・スポーツによる国際交流の担い手としての存在
・スポーツの素晴らしさを恒常的に提供する使命
・子供たちをはじめ次世代を担う人々の育成
・スポーツ文化、国際社会、地域社会への貢献
・スポーツ文化価値を生み出すためのパートナーとの共生

JGTOはこんな素晴らしい理念を掲げています。しかし、本当に実践できているのでしょうか?

ゴルフが一部富裕層のものだけで良いのならば、このまま競技人口は減り続けると思います。

理念とビジネスを融合させることこそ、これからの生きる道と思います。

様々な業界の意見を取り入れ、従来の在り方に疑問を持つことから始めてほしいと切に思います。