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GREEN MAN
宮里藍が引退!最後に見せた6位のメッセージ!
今年、32歳を迎える宮里藍が、今シーズン限りでの引退を発表した。
女子高生でプロゴルファーに転身して、日本に女子プロブームを起こした彼女に、一体、何があったのか?
目次
女子プロブームを牽引いたが、近年はスランプに。
2017年になっても、日本のゴルフ界は女子プロブームが続いているが、そのパイオニアとなったのは、間違いなく女子高生プロとなった「藍ちゃん」だった。
90年代まで、日本のプロツアーでは圧倒的に男子の人気が高く、女子プロは閑古鳥がなく状態にあった。
そんな中、爽やかな笑顔で、鮮烈に女子プロゴルフに登場したのが宮里藍だった。
高校1年生の頃から、女子ツアーで何度も上位に入るたびにニュースや雑誌、テレビで取り上げられ、同年代の横峯さくらとともに全国的な知名度を誇るようになった。
国内ツアー15勝、米国ツアー9勝、そして世界ランク1位に。
そして高校3年のときには、「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で優勝して、同年10月にプロ入り。
女子高生プロゴルファーが誕生した。
宮里藍が試合に出るだけで、会場には大勢のギャラリーがつめかけていた。
その旋風は、どんどん加速していく。
プロになっても藍ちゃんフィーバーは加速していった。
2003年にプロ入りすると、2004年には年間4勝、2005年は6勝、そして2006年には米国女子ツアーへ参戦する!
米ツアーでは苦しみの後に、世界ランク1位に!
2006年から本格的に米ツアーに参戦するも、試合に勝てない日々が続いた。
米ツアーでの初優勝は、2009年の「エビアンマスターズ」だった。
歓喜の優勝となった、そこから第2の宮里旋風がはじまる。
2010年には米ツアーで年間5勝をマークすると、世界ランク1位の座についた。
これは、まだ松山英樹も成し遂げていない偉業である。
ここ5年間は優勝から遠ざかる、苦しい時期に。
世界ランク1位になったあとも2011年も「エビアンマスターズ」で優勝し、2012年にも年間2勝をマーク。
米ツアーでは計9勝を挙げたことになる。
しかし、2013年以降は米国でも日本でも勝てない試合が続き、賞金シードを獲得するのもギリギリのシーズンが続く。
特にここ1、2年は日本でも米国でも、予選落ちする試合も増えてしまった。
そんな中でも引退発表となったのだ。
しかし、実は引退発表直前に開催された、「中京テレビ・ブリヂストンレディス」では、久しぶりとなる6位フィニッシュという好成績を出していた。
それは女子プロゴルフ界のパイオニアが見せた最後のメッセージだったのかもしれない。