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【この言いかた、おかしい?】ゴルフにまつわる「言葉」を考えてみた

日本語の乱れ等と時々言われていますが、私は「言葉」の使い方、文章の書き方等を結構気にする方です。

日頃、テレビや雑誌を見ている時でも、発せられる言葉、書いてある言葉に、あれ?と感じる言葉があります。

もちろん、ゴルフ中継を見ていたりゴルフ雑誌を見ていたりする時にも同じように感じることがあります。

キャディが発するおかしな言葉

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ゴルフ中継を見ていると、選手がアドレスに入った時ほとんどのキャディが同じ言葉を使います。

「プレー入ります!」

ギャラリーに向かって発せられるこの言葉。

私には違和感があります。

「プレーに入ります」ならまだ言葉としてわかりますがねー。

でも「プレーに入ります」だとしても、“だから何?”となりませんか(笑)

もちろん意図はわかりますよ。

「選手がこれからショットをするので、物音がするとショットに影響します。だからギャラリーの皆様、じっとして音を鳴らないようにして下さい」ということでしょ。

この意味合いのことを要約すると、「止まってください!」になるんじゃないかなと思います。

「止まってください!」の方が端的で、ギャラリーもわかりやすいと思いますね。

解説者のおかしな言葉

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選手のセカンドショットやパッティングの時等に解説者やラウンドレポーターが発する言葉があります。

「距離的には132ヤードです」

「ライン的にはフックです」

この「~的」って気になりますねー。

「的」を調べると・・・

(接尾)
① 名詞およびそれに準ずる語に付いて、形容動詞の語幹をつくる。
 ㋐主に物や人を表す名詞に付いて、それそのものではないが、それに似た性質をもっていることを表す。…のよう。…ふう。 「百科事典-な知識」 「母親-な存在」
 ㋑主に抽象的な事柄を表す漢語に付いて、その状態にあることを表す。「印象-な光景」「積極-に行動する」「定期-な検診」
 ㋒物事の分野・方面などを表す漢語に付いて、その観点や側面から見て、という意を表す。上(じょう)。「学問-に間違っている」「事務-な配慮」〔(ア)~(イ)は、もと中国、宋・元の俗語で「の」の意味を表す助辞であったものを、明治以降、英語の -tic を有する形容詞の訳語に用いたことに始まる〕

―大辞林 第三版 より抜粋―

敢えて言うなら、㋒の意味に近いかなと思いますが、でもやっぱり日本語としておかしいですよ。

「距離は132ヤードです」「ラインはフックです」と言っても通じるわけで、「~的」を使うと自分の言葉をボカしている感じがします。

日常会話でも「私的(わたしてき)には〇〇」という人もいますよね。

曖昧というのが、ある意味日本語の奥ゆかしさとも言えますが、「ライン的」「距離的」は曖昧とかではなく、おかしな日本語だと思います。

レッスン用語のおかしな言葉

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雑誌等でのレッスン記事を読んでいると、ある動作に対しての表現として決まった言葉を使っています。

その中で私が気になる言葉が「腰を切る」。

この言葉もある程度ゴルフ歴がある人なら意味は分かります。

「インパクトを迎えるに際し、上体を回転させるために、体重を左に持って行き左股関節で体重を受け止めつつ上体より先に腰を回す動作」

だいたいこのような意味ですよね。

でも「腰を切る」って、何か曖昧ですね。

レッスンの際には当たり前のように使われていて、もはや何を意味するのか疑問すら感じないかもしれませんが、ゴルフを始めたばかりの人には通じないと思います。

長い間ゴルフをしている人には何の違和感もない言葉も、外から見ると変な言葉に感じることもあるはずです。

レッスン用語も、もっと具体的で一般的に使われる言葉を使うことが重要だと思います。

伝わっていると思い込んでいるだけで、全然伝わってないこともあるのではないでしょうか?

ゴルフレッスンは、ある程度イメージに基づいた指導があると思いますが、それを表現する言葉が具体的にどういう動作を指しているのかわからなかったら、レッスンの効果も上がらないと思います。

綺麗な言葉、伝わる言葉

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色々と私の思うところを書きましたが、私自身の書き言葉、話し言葉も気を付けないといけないと思っています。

私はこのサイトに寄稿するようになってしばらく経ちますが、文章を書くにあたって“自分の言いたいことが伝わっているかな?”といつも考えています。

自分では理解していることを言葉に表す時には、人が理解できる言葉に置き換えないといけないと思っています。

もちろん文章を書くときだけでなく、人と話す時も同じです。

日常の読み書きや会話等では、「綺麗な」言葉であると同時に、「伝わる」言葉を使っていきたいと思っています。