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Taddy Bear
歴史に名を残したあの人たちもゴルフに夢中だった!〜後編〜
知っておけば19番ホールできっと役に立つゴルフ・トリビア。
今回はゴルフ・フリークな歴史上の著名人たちの後編。
輝きが失われることのない業績を残した人はゴルフも非凡。
まずは女性から始めましょう。
自分のためにスポーツウェアをデザインしたココ・シャネル
歴史上、もっとも有名な女性ゴルファーといえばメアリー・スチュアート元女王(1542〜1587年:以下敬称略)。
“cadet(カデット)”と呼ばれる宮廷に仕えていた貴族の子供たちにクラブを持たせていたことがキャディの語源になったことはよく知られているところ。
イングランドとスコットランド、男たちの権力闘争の間で駒のように動かされたメアリーに取って、ゴルフは唯一の憩いの時だったのでしょう。
以後、スコットランドではゴルフ史上に残る活躍をした女性ゴルファーは数多くいるものの、ゴルフ界以外からの有名な女性ゴルファーはなかなか輩出されませんでした。
そんな状況下、華やかな雰囲気をまとって颯爽と表れたのがココ・シャネル女史(1883〜1971年:以下敬称略)。
波乱万丈の人生を歩み、オートクチュールの王座を何度も明け渡しながら革命的なセンスで復活する姿は、単なるデザイナーの枠を超え、当時の女性に夢と自由を提供しました。
なかでもジャージー素材を使ったカジュアルでスポーティなファッションは、斬新というだけでなく、働く女性たちに取って動きやすいという実用性も兼ね備えていました。
またシャネルはいろいろなスポーツが大好きで、そのテイストをファッションに落とし込んでいることも特徴。
スケートや乗馬などと並び、グリーンの上でウェッジとピンを持っているモノクロームの写真(上)は有名ですね。
そしてスポーツウェアのデザインに対して、いかにもシャネルらしい言葉が残っています。
「私がスポーツウェアを考案したのは他の女性がスポーツをしていたからではなく、私自身がスポーツをしていたからです」
ゴルフに関する名言は残されていませんが、人生に関する名言は数多くあります。その1つがこれ。
「人生がわかるのは、逆境の時よ」
人生の部分をゴルフに変えるだけで、ぴったりとゴルフにフィットする名言になります。
早くやろうぜ! を第一義とした白洲次郎
政治家がゴルフ好きなのは前回でご紹介した通り。
日本だって例外ではありません。
第2次世界大戦後、混乱を極めた日本の中で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)要人から「従順ならざる唯一の日本人」と言われ、戦後は政界から身を引いて実業家に転身した白洲次郎氏(1902〜1985年:以下敬称略)もその1人。
彼のエピソードに関しては枚挙に暇がないのでここでは割愛。ゴルフと深い関わりを持っていた晩年にスポットを当てましょう。
白洲が名門の軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長に就任したのは80歳の時。
もちろん白洲は、英国留学の経験があり、28歳の時からゴルフに親しんでいました。
彼がゴルフにおけるもっとも大切なマナーとして掲げていたのが「play fast(早くやろうぜ)」。
ゴルフ場は共有施設。1人のプレーヤーが時間をかけていれば他のプレーヤーの時間が短くなるのは必至。
すべてのプレーヤーは公平にプレーできなければならない、というのが白洲のプリンシパル(第一義)でした。
田中角栄氏(1918〜1993年:以下敬称略)が首相時代、アメリカ駐日大使と軽井沢ゴルフ倶楽部を訪れた時「日曜日は会員限定です。プレーはお断りします」と丁重に断ったのは有名な話。
プリンシパルを信義とする白洲ならではのゴルフ・エピソードです。
レフティのままプレーした野球の神様
ゴルフ以外のプロスポーツでゴルフ好きな選手、多いですね。
とくに野球。
“打撃の神様”と言われた川上哲治氏(1920〜2013年:以下敬称略)、ホームランの世界記録を持つ現ソフトバンク球団取締役会長終身GMの王貞治氏(1980~:以下敬称略)なども現役引退後はゴルフに熱中していました。
もちろん、他にも多くいますが、この2人を登場させたのは、ともに左打ちだから。
ただし、ゴルフに関しては王は右打ちにしましたが、川上は左打ちのまま。日本の著名人の中ではレフティの草分け的存在でしょう。
でも外国に目を向けるとさらに古いレフティがいました。それも、川上と同じ左打ちで「野球の神様」と称された人物。
そう、ベーブ・ルース氏(1895〜1948年:以下敬称略)です。
ルースは現役時代からゴルフに熱中、日本へ来日した際にもプレーしていました。
その彼の名言がこれ。
「ゴルフに逆転ホームランはない。ゲームの勝敗はほとんどが自滅によって決する」
ルースと言えば「三振を恐れていちゃ何もできないよ」といった名言を残したり、予告ホームランを実現するなど豪胆な性格。
でも、逆に言えば豪胆な性格に隠れた繊細なスポーツセンスが、ゴルフの本質をきちんと見抜いて言葉に残したと言えるでしょう。
R&Aの会員になったこともある名優ショーン・コネリー
最後はもう一度、生粋のスコットランド人の登場です。
2020年10月に永眠したショーン・コネリー氏(1930~2020:以下敬称略)。
セントアンドリュースにほど近いエディンバラの出身でしたが、リンクスゴルフに夢中になったのは意外に遅く、32歳頃から。
ロケで訪れたスコットランド北部に滞在中、ロイヤル・ドーノックでプレーしたことが彼のリンクスゴルフに対するイメージを大きく変えました。
元来、スコットランド人を矜持としているコネリーだけに、リンクスゴルフにハマった後は一直線。
一時はR&Aの会員にもなっています。
その彼の名言がこれ。
「ゴルフと人生は似ているように思う。ゴルフは基本的に自己責任。闘う相手は自分自身、もしごまかせば敗者となる。それは自分自身をだましていることと同じだから」
セントアンドリュース・ゴルフコースからわずかの距離に、キャディたちの溜まり場となっているパブ「Hams Home Pub&Grill」があります。
ここのエントランス天井には訪れた著名人の写真とサインが所狭しと貼られています。
その中には、コネリーの写真とサインもありました。
19番ホールで至極の1杯。今頃は天国で楽しんでいることでしょう。