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競技ゴルフのススメ 筆者の楽しきゴルフ遍歴
これまで「競技ゴルフのススメ」と題し、「競技ゴルフは本質的には、競技の時にだけ必要となる独特なゴルフのスキルの有無を参加要件とするべきもの」というスタンスで、いくつかの記事を書いてきました。話題は尽きないのですが、この辺りでいったんまとめることにします。
今回は、まとめの前半として「こうした意見に至った経緯」である「私のゴルフ・競技ゴルフ遍歴」について書かせていただきます。
目次
長かった初級者時代
私は新社会人の20歳代前半からゴルフを始めました。学生時代の友達が「一緒にゴルフやろうぜ」と言ってきたので誘いに乗りました。
「ゴルフは社会人(ビジネスパーソン)の一般教養として必須科目だ!」と思っていましたから、「渡りに船」でした。
私のゴルフ開始に対して、実の父親も賛同してくれて「パーシモンのウッド、マッスルバックのアイアン、T字型のパター」というお古のクラブセットを譲ってくれました。
当時は、スクールのレッスンにも行かず、一人で打ちっ放し練習場へ行き、月1回ペースで同級生や職場同僚などとコースへ行く、というゴルフライフでした。
30歳前後には丸4年間もクラブも握らず球も打たなかったこともありました。
腕前レベルは、ベストスコアは108、平均スコア120くらい、典型的な「庶民ダッファー」だったと言えましょう。10年ほどその状態で過ごしました。
やる気スイッチ・オンで突然の躍進
30歳代半ばにして、突然、ゴルフに対する「やる気スイッチ」が入りました。
今まで一緒に遊んでいた同級生や職場同僚が、みんな結婚をして、ゴルフも他の遊びも止めてしまったのです。私は、独り残され、仕事以外に何もやることがなくなりました……。
困った私、一番楽しい遊びと感じていたゴルフに目をつけました。勇気を出して、ネットのゴルフサークルに加入しました。これで生活は一変し、新しい友達と毎週末ゴルフコースへ行く、楽しい日々が始まりました。
ネットのゴルフサークルの住人は「100を切るのは当たり前という上級者」が大半でした。「朱に交われば赤くなる」という諺(ことわざ)の通り、私の腕前は見る見る上がり、ベストスコア79、平均スコア92というレベルで安定しました。
アマチュア競技会でもビギナーズラックの快進撃
30歳代の終わり頃、ゴルフサークルの先輩達からの勧めも受けて、アマチュア競技会にも参戦するようになりました。
元々、パワー不足・飛距離不足なゴルファーでしたから、アマチュア競技会でも球が大きく曲がることもなく、普段よりも良いスコアを出したりしていました。
会員権を取得したコースでの倶楽部ハンディは10まで下がりました。こうしたビギナーズラックの快進撃は4年ほど続きました。
初級者時代・ゴルフサークル時代ともに「ほぼ競技ルールなゴルフ」をやっていました。
それが良かったのでしょう。厳しかった諸先輩方にとても感謝しています。
しかし、この頃の自分を振り返ると「ちょっと好成績を出したからって“のぼせて”しまった“おめでたい奴”」であったことは否めません。
伸び悩み始めてメンタル・パンチ・ドランカー
世の中もゴルフも、そんなに甘いものではありませんよね。
快進撃を続けているつもりでも、4年も経てば、毎年同じ競技会で数打差・数人差で予選カットされているということにも気づいて、徐々にエネルギーが減っていたようです。
「平均スコア1打、ハンディ1個だけで、壁を越えられる!」と信じて、いろいろな努力をしていました。
レッスンを受講して飛距離アップのスイング改造、クラブを買い換える、芝から打てる練習場に通う、などなどです。しかし、悲しきかな、どんな改善努力をやっても、結果である平均スコアはまったく改善しませんでした。
そうこうしているうちに、ショートパットでは手が緩んでの大ショートやパンチが入っての大オーバー、ドライバーでは体が止まってのチーピンやら無意識での200ヤード未満への刻み、という「病」に蝕まれ始めていました。
挙句の果てには、同伴競技者やキャディさんとも喧嘩をする始末でした。
実は、これも「競技初心者にありがちなパターン」らしいです。一般的には「観念して自分の実力相応の場所で落ち着くべき」だと言われています。
一念発起して副業キャディ
40歳代半ば、すでに、人生におけるかなり多くのことを投げ捨てて、ゴルフだけに賭けていました。観念なんてできません。
「生活習慣が変われば、人生が変わる」と、いろいろな方がいろいろな言葉(文章)で言っています。
「上級者達と頻繁にコースをラウンドする生活」以上に「ゴルフ漬けな生活」を模索しました。
ちょうど、働き方改革・副業解禁という世の中の流れに乗って、会社に申請を出して、副業で派遣ハウス・キャディを始めました。
ゴルフコースのキャディ待機小屋には「かつて研修生をしていた人」などの「プロゴルファー並みかそれ以上にゴルフ通な人」がたくさんいました。
「低いフェード」とか「上にフライヤー」とか「転がりの良いパット」などなどの「自分が今までに打ったことがないような打球」の打ち方を教えていただき、練習をしました。
そして、思うように上手く身体を動かせた時だけですが、その打球を自分で打てるようになりました。
自分も、先輩キャディさん達と同じくらい、ゴルフに詳しくなれたと思っています。
副業ゆえに週1回程度しか出勤できないのに、キャディとして働く機会を整えてくださった、派遣元会社幹部様、(派遣先の)ゴルフ場様、などなどの皆様に大変感謝しています。
しかし、「知っていることとできることは違う」のですね。
一般的なアマチュアのプレースタイルで下手クソだった中年ゴルファーが、プロと同じプレースタイルのゴルフをしてみる、というのは……どうなんでしょう?
今のところは、良いショットと悪いショットの差が非常に激しく、ラウンド中には両方が出てしまいます。平均スコアで見れば改善はできていません。
庶民の味方! ぺロゴルファー誕生
「やめたほうが楽かなと思うときもあった。やめるのは簡単。やめても何も変わらない。やり続けしかないと思った」2018年に50歳で日本プロゴルフ選手権を制した谷口徹プロが優勝インタビューで語っていた言葉です。
プロゴルフ界のレジェンドである谷口徹プロに対して大変失礼ではありますが、「ゴルフへの熱い想い(だけ)は、自分も同じだ!」と私は信じています。
諦めずに、新しいチャレンジを続けている限り、闘うゴルフ人生には、終わりは訪れません!
格好良く言えばこんな感じですが、平易な言葉にすれば「ただの永遠なる下手の横好きゴルファー」です。
今では、こうして記事を書かせていただく立場ですが、100が切れない初心者時代も長かったですし、一般アマチュアゴルファーの熱い気持ち・もどかしい気持ちは、我がことのように理解・共感できます。
プライベートラウンド・親睦コンペ・アマチュア競技会という市民(庶民)ゴルフ界において、「とにかくゴルフが大好きで、他人に対しては時に優しく時に厳しい≒良き先輩ゴルファー」であり続けたいと思っています。