ライフスタイル
Gridge編集部
ゴルフメディア界の異才 O嬢のゴルフ履歴書
ごきげんよう、Gridge編集部のヒッティです。
今回は「ゴルフメディア界の裏話を聞く」という、物好きな企画です。
コアなゴルフファンなら、“O嬢”という方の存在をご存知だと思います。
元ゴルフ専門誌『ゴルフトゥデイ』の編集長で、過去アメリカのメジャーだけでなく海外の様々なトーナメントで取材を重ねて来た記者であり、Gridgeにも時々寄稿してくれています。
そんなO嬢と、全米オープンの取材で初対面! 今回はO嬢さんについてのインタビューを申し込みました。
目次
O嬢さんとはこんな人
シネコックって元々インディアンたちの墓地だった場所に作られたコース。シネコックヒルズインディアン150人がコース作りに従事しました。クラブハウスは全米最古。 pic.twitter.com/y9Q9zjHoom
— Eiko Oizumi (@golftoday_ojo) 2018年6月12日
トーナメントに魅せられて
――よろしくお願いします。早速ですが、O嬢さんはいつからどうやってゴルフ界に入られたんですか?
大学卒業後、アルバ(ALBA)というゴルフ雑誌に入社しました。
実はゴルフに興味を持ち始めた当初、「ゴルフをやりたい、ゴルフが好き!」というのではなく、「トーナメントに行きたい」という思いが強くて。
昔、親がゴルフ中継をテレビで見ていて、最初は特に興味はなかったんですけど、ある時チラッと見たら、尾崎直道さんが優勝争いをしていたんです。
その時「ゴルフでこんなかわいい顔の人がいるんだ」って、一目で大ファンになりました。
それからゴルフ中継をよく見るようになって、テレビを見てたら、プロたちの後ろにスコアのボードを持って歩いている学生風な人がいるのに気づき、「私もあれをやって、直道さんに会ってみたい」と思ったんです。
それで、大学でゴルフトーナメントのアルバイトをしているサークルに入ったんですよ。関東近郊の試合には結構行きました。サントリーオープン、フジサンケイクラシック、ジュンクラシックなどの男子だけでなく、女子プロの試合にもかなり行きましたね。もちろん、念願の直道さんにも会えました(笑)。
そういうことをしていたら、アルバの記者の人から写真整理のバイトの話があって。
「それぐらいゴルフトーナメントに行ってたら選手の顔とかわかるでしょ」ってことで。それでアルバに学生時代、バイトで入ったんです。
そういう仕事いいなって思ってたから、そのまま就職活動とか試験も受けずに、アルバに入れてもらおうと思って。
そのうち、ゴルフ雑誌の出版社で働くのもいいな、と思い、周囲が反対(!?)するのも押し切って、他に就職活動もせずに大学卒業後にアルバに入りました。
その当時のアルバの売り上げは、とにかくすごくて、私が入社1年目にメインで担当した「連続写真特集」などは1冊で40万部も売れたんです。まだ1年目でしたが、うれしかったですね。
アルバに入ってからはほとんど毎週のように男子ツアーの練習日に出かけては、レッスン取材やプロのネタ拾いを担当していました。
丸山茂樹と同級生
私、ちょうどマル(丸山茂樹)と同い年なんです。学校は違いますが、彼が大学を出てプロゴルファーになった頃、私もアルバに入社し、プロデビューした頃からレッスン取材などでお世話になりました。90年台からずっと連載やってましたからね。
――なるほど。Gridgeに投稿してくれている記事でも、丸山さんのこと書かれていましたよね(リンク参照)。
そうなんです。やっぱり同い年の選手だから、取材対象というだけでなく、友達として頑張って欲しいという気持ちも強くて……。
特に私がゴルフトゥデイに移籍した後のほうが、付き合いも深くなりました。
2000年に彼が米ツアーに参戦することになった時、それまでずっとやってきたマルの連載を続けたい思いが強くて、社長に「海外取材に定期的に出して欲しい」と懇願しました。
1年目なんて1~2週間くらいの出張を毎月繰り返して出たり入ったりしてたんですよ。マルも米ツアー本格参戦1年目なら、私にとっても米ツアー本格取材1年目。最初はドタバタ珍道中だらけで、経費もかなりかかったと思います。
でもそのうち、せっかくこんなに行ってるんだから、マルの取材だけじゃもったいないなと思い始めたんです。
アメリカツアーでの恩師ならぬ恩プロ3人
アメリカに行き始めた当時、私の英会話力といえば、中学生くらい!?(苦笑)まぁ、大学まで読み書きは勉強してきましたが、別に英会話の勉強をしてきたわけではなかったので、最初は戸惑いました。
だけど、普段やっているレッスン取材なら、ゴルフレッスンの用語はある程度わかるし、質問さえすれば答えはなんとなくわかるから、世界のトッププロたちに「スライスはどうすれば直るか?」「どうすれば飛距離が出る?」などのワンポイントレッスンを取材し始めたわけです。
まぁ、取材現場を見ても、その手の取材をしている記者はいなかったし、さらに日本人の女子だから、たぶん目立ったんでしょうね。一度接触すれば、名前まで覚えてくれる選手もいました。
そのうち選手たちが「私が来たということは、何か聞きたいんだな」ってわかってくれるようになり、アーニー・エルスや、アダム・スコット、セルジオ・ガルシア、ルーク・ドナルドなどにはさんざんレッスン取材に協力してもらいましたね。
ルークにはお礼に、毎回アメリカに来るたびに日本のビール缶を何十本も持ち込み、プレゼントしたくらいです。
タイガーもその当時は全盛期でしたが、できるだけ接触しようと試みました。東日本大震災の直後には、チャリティグッズ集めに一番最初に協力してくれて、オーガスタで使用したグローブにサインをしてくれたのはうれしかったですね。
ミケルソンのエイミー夫人やエルスのリズル夫人とは、顔を見れば必ず言葉を交わす仲ですが、ダンナさんたちが試合で忙しい合間にチャリティグッズ集めに協力してくれました。
まぁ、私の英語力は最初は心もとないものだったけど、こうして米ツアーの選手たちの取材を重ね、英語でのメールでのやり取りも頻繁にやるようになってからは、だいぶ話せるようになったかなと思います。
世界のトッププロと、クラブメーカーの ツアーレップが先生。
――私じつは昨日のバス(全米オープンのコースとメディアホテルを行き来するシャトルバス)で、前のほうに座ってたんですよ。それで前の席に座った人たちがなんか楽しそうに会話してるなーって思ってたら、「Japanese player」がどうとかって話してた。のぞいてみたらO嬢さんでした。普通にネイティブのアメリカ人が会話していると思っていたので、びっくりしました。
いやいや全然(笑)。でも、私の場合は世界の選手や、メーカーのツアーレップ(ツアーの現場に同行するプロの担当者)たちと話をするようになって上達したと言っていいでしょうね。読み書きだけの勉強では身につかない言い回しもあるし……。
ポール・ケイシーやイアン・ポールターなどは、私を見ると「新作が出てるよ」と新兵器をわざわざ見せて説明してくれるんですよ!
米ツアーに来始めた頃は、英語がわからなくてずいぶん苦労もしたけど、かなり鍛えられましたね。特に、空港で荷物が出てこなかったり、ディレイして乗り継ぐはずの飛行機に乗れなかったりした時、ずいぶん苦労したものです。
O嬢、世界へ
O嬢と同い年のアーニーエルス。最近、ダンロップと契約してXXIOを使い、日本のISPSハンダと契約。そして日本人の私とは取材仲間。 pic.twitter.com/wt9fRkabmr
— Eiko Oizumi (@golftoday_ojo) 2018年2月13日
――米国に行きっぱなしではなくて、行ったり来たりが基本だったんですか?
そうですね。米国支局を作るほどは会社も考えていなかったので、日本と米国を行ったり来たりでした。たまにヨーロッパや中東、北アフリカに出向くこともありましたが、メインはやはり米国です。
担当はもともとレッスンページでしたが、新商品のクラブの話とか、世界のゴルフ場の取材もずいぶんやってきましたね。
――「O嬢日記」というマンガ(ゴルフトゥデイの連載企画)はどうやってできたんですか?
雑誌の編集者って、誌面で出ないようにするのが基本じゃないですか。
でも、誰かが「O嬢の取材している光景が面白い」と言われて、じゃあ取材している様子をマンガの企画にしようということになりました。
実際プロと話しているO嬢の写真を使いながら、リアルに現場取材を表現しているんです。
マンガの中のO嬢も、ひたすらイケメンのアダム・スコット好きで、漫画家が事実とそんなにかけ離れた内容でもないんですが、ゴルフ雑誌でこの手の内容は今までになかったので、読者にとっても斬新で面白かったんでしょうね。けっこう人気がありました。
マンガの中の私はイラストの顔をかぶせているんですが、それでも取材中に「あれ? O嬢さんですか?」と声をかけられることも多くて……。顔を隠しているのにきっと雰囲気でバレちゃうんですね。
O嬢、ゴルフトゥデイを辞めてフリーになる
――独立を考えられたのはなぜですか。
今まで長年に渡り、積み重ねてきた人脈を生かして、ゴルフ雑誌でページを作ること以外の何か違う仕事ができないかな、と思っていました。
実際ゴルフトゥデイ在籍時代にも、トム・ワトソンやセルヒオ・ガルシアを招致して、
メジャー観戦ツアー+世界のプロとラウンド、などの企画も組みましたし、去年のプレジデンツカップでは、マンハッタンが目の前の超セレブ・メンバーコースのリバティナショナルで観戦&プレーを実現させ、30人以上のお客さんを集めることもできました。
このようにゴルファーにとって夢のような企画、私でしかできない企画を提案・実行してみたいと思い始めたんです。
実際、今年の年末には公式戦ではありませんが、日本VSタイの親善試合があり、それの日本でのプロモーターのような仕事もやっています。
一方では、フリーランスになると意外と融通が利かないところも多くて、厳しさも痛感しています。今までは編集長ということもあり、雑誌の方向性などを決めて、どういう取材を入れようと決めることができていましたが、フリーは持ち込み企画が通らない限り、自分の思い通りの取材はなかなかできないですからね。
しかし、今までは昼夜問わず働いていたような生活で、ロクに友達とも会えない日々を送っていましたが、少しずついろんな人たちと会うことができているので、それは良かったですね。
今、UUUM(ウーム)という日本最大のYouTubeメディアの会社のゴルフ部門のお手伝いもしています。
若い人たちが多い業界なので、ジェネレーションギャップを感じ、気が引けることもありますが、新たな挑戦ですね。
そこでも芹澤さんのレッスン番組でMCも務め、約1ヶ月足らずで25万回再生なども記録しています(上の動画参照)。
――顔も出してるんですか?
出しちゃってるんですよ(笑)。本当は出したくないですけど。「このおばさん、誰?」みたいな 書き込みもあり、本当に凹みますね。
新しいキャリアの開拓中 プロモーターO嬢。
――今、他のジャンルの仕事もされているとか?
今年の12月に、タイVS日本の親善試合がイギリスの会社で企画されていて、私がその日本支局としてコーディネートをやり始めています。
ちょうどフリーになった4月にそういう話が舞い込んできたんですが、将来、そのようなジャンルのこともやりたいと思っていたので、タイミングが良かったですね。やってみると意外と大変だなーって思ってますけど……。
でもきっとこれが成功したら、そして選手たちから「このイベント、来年も出たいです」なんて言ってくれた暁(あかつき)には、喜びや満足感はハンパないでしょうね!
――新しいキャリアを始めて、楽しみな感じですね?
そうですね。今までの会社員の時のような安定感は今のところまだありませんが、新しいジャンルの仕事を垣根なくできる、というのは、魅力だと思います。
出版関係の仕事だけでなく、人脈を生かしたゴルフ旅行業やイベントなどにも興味があるので、今までのゴルフ旅行やイベントに飽き足りないゴルファーの皆さんに喜んでもらえるようなコンテンツを提供できたら、と思っています。
O嬢の「ゴルフ活性化」計画。
――ゴルフ界を活性化させるには、どんなことが必要だと思いますか?
随分前から「ゴルフ人口を増やし、ゴルフ界を活性化させる」ということが言い続けられ、さまざまな取り組みがなされてきたとは思いますが、男子の試合数は減少傾向にあり、ギャラリー数も昔に比べたら減っています。
人気者やスーパースターの欠如ということを言われていますが、それだけじゃないと思っています。
生前、私が何度も取材させてもらったアーノルド・パーマーの言葉を借りるとすれば、
「野球や他のスポーツとは違って、ギャラリーがロープを挟んですぐそこにいるんだから、自分からギャラリーに歩み寄らないといけない。サインを求められても、後にしてくれ、とか応えないとか、そういう態度は良くない」と。
実際、私は彼がシニアの試合に出ていた時にパーマーのやり方を見たことがありますが、試合中でもギャラリーに声をかけられたら、サムアップして応えたり、ギャラリーのほうに歩いていって、話してるんです。そういう気さくな人だったんですよね。
ギャラリーを大切にすることは大事ってよく強調して言ってました。彼はすごくギャラリーを大事にする人でしたね。
ジャック・ニクラウスは戦歴上ではパーマーよりも上。キャリア・グランドスラムも達成してるし、優勝回数もパーマーより多い。でも、ニクラウスはヒール役で、パーマーのほうが愛されキャラだった。
野球で例えるなら、長嶋(茂雄)さんと王(貞治)さんみたいな感じですね。パーマーは長嶋さんのように茶目っ気があり、世界中から愛されていたんです。とても温かみがある人でした。
――なるほど、わかりやすい!
ギャラリーもメディアも大事にするパーマーの言葉
パーマーは、「メディアも大事だ」とよく言ってましたね。メディアが自分の話を聞きに来てくれているんだから、絶対ぞんざいに扱ってはいけないって。彼らはゴルフを世に広めてくれる人なんだから、インタビューを受けないという態度はおかしい、と。
メディアの人間はどちらかというと邪魔者扱いされる場合が多いけど、パーマーは違う。話が聞きたいというメディアがいれば、きちんと対応していたし、真のレジェンドだったと思いますよ。
写真も「なんでも必要なものを撮りなさい」って言ってくれた。プライベートジェットの中身まで見せてくれたんですからね!
今のトッププレーヤーたちでもここまで懐の広い人はいないでしょうね~。まるでアメリカのお父さんのような感じでした。
ーーなにかパーマーとO嬢の間でおもしろいエピソードはありますか?
私がゴルフトゥデイの編集長になった後でマスターズの取材に行った時のこと。パーマーが私に会うと「なんでお前はここにいるんだ。編集長っていうのはオフィスにいるもんだろう」って言われたんです。
彼のマネージャーが伝えてくれたんだろうけど、まるで身内や親しい友達のような言葉をかけてくれて嬉しかったですね。こういう一つ一つのやりとりが、私の宝ですね。
インタビュー後記
「一流プロたちと友達になりたい」という気持ち。実際に数々のレジェンドやトッププレイヤーと親交のあるO嬢さんから聞くお話は、とても興味深かったです。
全米オープンの会場でも感じましたが、ギャラリーに笑顔で応えたり、サインを書いてあげたり、疲れているのにしっかりとインタビューに応じていたり、海外の選手たちはすごくさりげなく、カッコよくやっているんですよね。
プロやギャラリーの国民性や土地柄もあるので一概には言えませんが、日本もギャラリーとプロが互いにリスペクトし、一体となって業界を盛り上げていけたら素敵だなと思います。
トーナメントの現場を取材し続けてきたO嬢さんの、懐に飛び込む取材力やジャーナリズムも一流だなと感服しました。
これからGridgeに寄稿される記事をお楽しみに!