ライフスタイル
Gridge編集部
引退を発表!宮里藍の偉業を振り返る!
2017年5月26日、日本中に衝撃のニュースが走りました。
宮里藍、引退。
老若男女問わず、多くの人がその存在を知っています。
彼女が成し遂げた偉業と、彼女がどうしてここまでたくさんの人に愛されているのかを振り返ってみましょう。
世界一に輝いた経験も!宮里藍の戦績
宮里藍は、高校3年生だった2003年6月、日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で優勝するなど、すでにトップアマチュアとして活躍していました。
同年9月、当時通っていた東北高校のある仙台で行われた、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントで優勝、翌10月にプロ宣言をしました。
史上初の高校生プロゴルファーとして、日本中に“藍ちゃんフィーバー”が巻き起こりました。
2004年には、日本女子ツアーでは2人目という年間獲得賞金1億円超えという快挙を果たし、日本プロスポーツ大賞新人賞も受賞します。
2005年には、南アフリカで行われた第1回ワールドカップ女子ゴルフに北田瑠衣とともに日本代表として出場し、数々の強豪国を抑えて優勝しました。
2009年のエビアン・マスターズでは、ツアー参戦4年目にして、プレーオフを制し悲願の米LPGAツアー初優勝を手にしました。
2010年には、米LPGAツアーでは44年振り、史上5人目となる開幕2週連続優勝を果たすなど
シーズン5勝を挙げる活躍で、日本人初となる世界ランキング1位も記録しました。
写真は、2009年エビアン・マスターズ優勝時のものです。
日本の“藍ちゃん”から世界の“ai”へ
宮里家は3人兄弟で、宮里藍は末っ子です。
1985年6月19日に沖縄県国頭群東村で誕生しました。
父優はティーチングプロ、二人の兄(聖志、優作)もプロゴルファーというゴルフ一家で育ったこともあり、必然のように4歳の頃からゴルフを始めます。
中学生までは沖縄で過ごし、高校から仙台市にある東北高校に進学しました。
中学校の頃には、3年間バスケットボール部に所属していたのは有名かもしれません。
陸上をしていたこともあったりと、運動神経はバツグンです。
「藍」という名前は、父が命名しました。
由来は辞書でも最初の方に出てくる字で、トップになってほしいという願いを込めて名付けられました。
その願い通り、宮里藍は世界トップに輝いたのです。
写真は、大活躍した2010年のロレックス・アワード時のものです。
テレビやCM出演経験も豊富
2003年に日本女子アマ、日本ジュニア、そしてLPGAツアーのダンロップ女子オープンを制覇し、全国に名前が知れ渡りました。
史上初の高校生でのプロ入りなどで話題になることも多く、成績はもちろん、はきはきとした受け答えが日本国中で好感を持って受け入れられ人気が爆発、「藍ちゃん」旋風が巻き起こりました。
当時は、女子ゴルフ中継の視聴率は数パーセント程度だったのが、彼女が出場するようになると10パーセント以上を記録するようになるなど、高視聴率になりました。
ライバルとなる横峯さくらとともに、現在まで続く女子ゴルフブームの火付け役を担ったと言っても間違いないでしょう。
大会への観客数も、彼女見たさに1万人以上が試合会場へ足を運びました。
また、目鼻立ちがくっきりとしたかわいらしい容姿や、沖縄出身の方言の愛らしさ、明るい性格などから好感度も高く、テレビのバラエティ番組やCMなどでひっぱりだことなりました。
宮里藍は、引退しても、みんなから愛される藍ちゃんのままでしょう。
選手生活、お疲れさまでした。
動画は、華麗なボールさばきがバスケ部出身ということをうかがわせてくれる2005年のテレビCMです。