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ゴルフコース・練習場

ミラクルゴルファー★まもプ(蝶首亭塗立)

幻のゴルフ場「朝霞コース」を知っていますか?

東京ゴルフ倶楽部というとゴルファー憧れの「一度は行ってみたい」と思うコースの一つで、「名門」と言われ一般ゴルファーには手の届かない雲の上のコースのようなゴルフ場です。

そんな歴史あるゴルフ場も紐解いていくと「幻」というか「奇跡」と言っても良い「軌跡」があったのです。

現在「狭山」にある東京ゴルフ倶楽部ですが、前身は「朝霞」にコースを構えていたのです。

「朝霞」と聞くと「駐屯地」「米軍キャンプ」、あとワタシが大ファンの「尾崎豊」が思い浮かびます。

そんな「朝霞」の「幻のゴルフ場」を調べてみました。

幻の「朝霞のゴルフ場」はどこに?

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幻となってしまったのは一昔も二昔も前のことで、今では面影はほぼなくなってしまっていますが、このゴルフ場があった場所は、東武東上線「朝霞駅」の南側、国道254号線(川越街道)を挟んだ広大な場所。

現在では陸上自衛隊朝霞駐屯地で、かつては米軍基地「キャンプ・ドレイク」でした。

その米軍基地の「キャンプサウス」と言われた場所に「東京ゴルフ倶楽部朝霞コース」は存在していました。

日本のゴルフ場の礎を作ったといっても過言ではない人で、「アリソンバンカー」で有名なチャールズ・アリソンの設計でコースは作られ、立派なクラブハウスとともに「東洋一のゴルフ場」と言われていました。

どんな歴史が隠れている?

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1913年(大正2年)に日本で初めて日本人によって日本人のために作られたゴルフ倶楽部なのが「東京ゴルフ倶楽部」です。

諸事情が出たゴルフ場は、1932年(昭和7年)に埼玉県膝折村(現朝霞市)に用地を確保してアリソン設計で本格的なコースをオープンしました。

1934年(昭和9年)には“野球の神様”と言われたベーブ・ルースがプレーしました。

1935年(昭和10年)には第8回日本オープンが開催され、宮本留吉が優勝しています。

また、1940年(昭和15年)にも第13回日本オープンが開催されています。

しかし、世界大戦が近づく中「陸軍予科士官学校用地」として買い上げが決まり、東洋一と言われたゴルフ場はたった8年でなくなってしまったのです。

現在、かろうじてその当時の面影が残るのは、朝霞駐屯地内にある「琵琶湖池」で朝霞コースの3番のウォーターハザードだけとなっています。

膝折村から朝霞へ

ゴルフ場がこの地になかったら今の「朝霞市」は「膝折市」になっていたかもしれません。

というのも、膝折村の広大な敷地に完成した「東京ゴルフ倶楽部」ですが、開場の際には名誉会長の始球式なども行われます。

町制施行の時に「膝を折るというのは縁起が良くないので地名には向かないのではないか」という話になり、その際に始球式を務めた名誉会長である皇族の「朝香宮鳩彦王」の名前から「朝香」を取り、そのままでは畏れ多いので一文字を変えて「朝霞」と決めたという話が残っています。

朝霞コースの今は

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ゴルフ場は現在の「東京ゴルフ倶楽部」へ移りました。

ゴルフ場があった場所の現在は、陸上自衛隊朝霞駐屯地の敷地になっていて、宿舎やその他施設になっています。

かつてここに日本を代表するゴルフ場があった面影はまったくなく、近隣に住む地元の人でもゴルフ場があったことを知っている人はほとんどいません。

もし、今でもここに「朝霞コース」があったら。。。

なんて想像するとゴルファーとしてはワクワクしてしまうものですね。。。