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プロゴルファー

Nick Jagger

【球聖】ボビー・ジョーンズって知っていますか?【マスターズ創始者】

マスターズの創始者といえばボビー・ジョーンズです。

しかし、彼の名前は聞いたことはあるけど、一体どんな人物だったのか知らない人も多いことでしょう。

そんな彼の経歴をかいつまんで紹介します。

年間グランドスラムを達成して引退

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ボビー・ジョーンズ、本名ロバート・タイヤー・ジョーンズ・ジュニア(1902~1971)は、全米オープン、全英オープン、全米アマ、全英アマと当時のメジャートーナメントをすべて同じ年(1930)に優勝した唯一の年間グランドスラマーなのです。

1923年に最初のメジャー優勝となった全米オープンに勝ってから、1930年までの8シーズンの間に、メジャー優勝13回(全米オープン4回、全英オープン3回、全米アマ5回、全英アマ1回)という偉業を成し遂げました。

後にグランドスラマーとなったベン・ホーガンやジャック・ニウラウスにも真似できなかったハイペースの快挙だったのです。

そして、年間グランドスラムを達成した1か月後には28歳の若さで引退を表明し、世界を驚かせました。

生涯アマチュアを貫く

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弁護士だったジョーンズは、生涯アマチュア選手を貫いたことでも有名です。

同時に知性と教養に富み、フェアプレーとスポーツマンシップの持ち主でもありました。

全米オープンで、アドレス後に自分のボールがわずかに動いたことをオフィシャルに報告し、自らペナルティーを科した話はあまりにも有名です。

全米のファンは彼のスポーツマンシップを讃えましたが、「このゲームをプレーする方法はひとつしかない。私の申告を褒めるのは、人が銀行強盗しないからと褒めるのと同じだ」といいました。

彼にとっては当然のことだったのです。

このペナルティーで彼は1打差で、この年の全米オープンのタイトルは獲れませんでした。

引退後はアトランタで弁護士の仕事に専念しましたが、ジョージア工科大学の機械工学学士、そしてハーバード大学の英文学学士だった彼は、ゴルフ場の設計、ゴルフ関連の映画の製作、執筆などにも積極的に参画しました。

また、第2次世界大戦では、空軍の指揮官としてノルマンディー上陸作戦にも参加しました。

セントアンドリュースへの想い

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若き日のジョーンズは非常に短気だったようで、初めて全英オープンに参加したとき、思い通りのプレーができず、スコアカードを破り、そのままセントアンドリュースを後にしてしまいました。

彼は生涯自分の愚行を後悔し、その後は悔い改めて「球聖」とまで呼ばれるゴルファーの鑑となりました。

競技ゴルフをやめて6年ほど経ったある日、ジョーンズがセントアンドリュースでプライベートでプレーしていると、それを聞きつけた近所の住人が2000人ほどが、彼を一目見ようと集まったそうです。

後日脊髄空洞症で車椅子の生活になったとき、「セントアンドリュースでの経験さえ残れば、たとえ生涯得たすべてのものを失っても、私の一生は満たされていた」と言うくらいセントアンドリュースには特別な思い入れがあったようです。

1971年に彼が亡くなったとき、セントアンドリュースは死を惜しみ、クラブハウスの旗を降ろして追悼しました。

簡単に彼の生涯を紹介しましたが、もっとジョーンズのことを知りたい人は、著書「ダウン・ザ・フェアウェイ」を読んでみるのもいいでしょう。